RFIDタグの実証実験について、何時も思うことがある。どこのページを見ても、技術的な観点からの考えは読みとれるのだが、そもそも、RFIDタグを「何故使用するのか」の是非については触れられていないような気がする。これはもっと根本的な部分から検討しなければならないことなのではないだろうか。小学生の行動を逐一把握することが必要なのか。誰が監視したいのか。小学生の人権は?誰も議論してないのではないかとさえ思えてしまう。
「はてなダイアリー - 高木浩光@茨城県つくば市 の日記」を読んで知ったのだが、技術的なセキュリティに関する考え方は高木氏の意見に賛成だ。だが、何故子供の行動を逐一何処かに報告する必要があるのか。これって思うに、国民総背番号化と衆人環視技術の実証実験以外の何者でもないのではなかろうか。
世の中全てのことは、技術(仮にIT系としておこう)で解決できると勘違いしているシトがいるように思える。発想が容易に推測出来てしまうところが幼稚というか。
(1)国民に背番号付けて監視したい←国
↓
(2)大人に付けると人権絡みで大騒ぎになりそう→ちょっと無理そう…
↓
(3)子供なら文句言わないかな→親は喜ぶだろう…
↓
(4)小学生に付けてしまえ
そもそも、小学生の行動を逐一監視して喜ぶ親は一部だってことに気付いていない。便利さのみをアピールして親の目をだまくらかしている時点で怪しさ満点。そもそも、実証実験でモニタできることは即ち、子供の監督義務がどこから何処までが学校の範疇で、何処からが親の範疇になるのか切り分けすら出来ていない。学校は子供に対する監督範囲を機械によって軽減しようと企み、親は騙され便利さに酔う。そしてほとんどの関係者が恩恵に与れず、予算だけが飛んでいく。結果、笑うのは企業…という図式ができあがる。
本来、安全を確保するのが目的ならば、子供本人を教育することが必要でしょうに。機械に守ってもらわなければ安全でない社会を大人が作ってどうするよ…という現実は置き去りですか。現実にはその親から始めに教育してやらなければならない状態というのもありますけど。結局は「誰か」がやらなければならないことに違いは無い訳で。結局はシトに依存するわけですよね。
教育するのもシト、安全を確保するのもシト、技術を使用するのもシト。シトの役割は昔から将来においても変わらないということ。手助けはできるけど、完全に取って変わることは出来ない類の話ではないのかなぁと思うのでありました。
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