ちょっと前から各所で既報の「いただきます」って言ってますか?…ですが、読むにつれ色々な考え方があるものだと感心、もとい、あきれてしまいました。えぇ、確かに文脈として捉えれば「正しい」ですね。文脈というよりも文法的な問題として捉えれば、ですが。ただし使い方としては思いっきり間違ってますけどね。食事を頂く…と表現することがあるように、日本では古来から食事の提供者が誰であれ、食の恵みを享受するという意味で「いただきます」と感謝する慣習があったと思ったのですが、もはやそのような感覚が無くなって来てしまっているということでしょうか。
確かに、日本では食べ物に困る…という状況は少なくなったのでしょうけど、それはものが豊かになった証拠でもあるわけですよね。気をつけなければならないのは全てのシトがそれを享受出来る訳ではないということなんですけど、件の子供は将来棺桶に入るまでそれが受けられることを保証されているんでしょうか。心配になっちゃいます。
一昨日捕まっちゃったホリエモンが言っていた「金が全て」みたいな心の貧しさが全開ですよね。ものは確かにお金で買えるかもしれませんけど、食事を作った方の心、気持ちまでは買える訳ではないでしょうに。「いただきます」には作ったシトの気持ちへの感謝の意味が込められているのであって、食事そのものを頂くという意味ではないですよね。なんか日本の将来はかなり怪しくなってきてしまったようですなぁ。
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