昨夜、日本時間の22時に揉めに揉めていた「明治日本の産業革命遺産」の世界文化遺産への登録が全会一致で決定した、というニュースである。
▼ 「明治産業革命遺産」、世界文化遺産へ登録決定 : カルチャー : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
日韓は5日の審議直前に合意に達した。
合意に沿い、日本代表団は登録決定後、構成資産の一部につい て、「1940年代に、意思に反して連れて来られ、厳しい環境で労働を強いられた」朝鮮半島出身者が多く存在したことへの理解を深めるための措置を講じる 方針を表明。「被害者を記憶にとどめるため」の情報センターの設置を検討するとも述べた。日本側が事実上、譲歩した形だ。
こうやって単に表面上の記事だけ読んでしまうと特におかしなことは無いのだが、これまでの経緯をつぶさに見ていくと色々とおかしなことがありすぎて素直に喜べない。
そもそも、文化遺産に関するところに政治的な問題をねじ込んできた頭のおかしい国が大騒ぎするとか、とにかく日本のやることには反射的に反対を唱え妨害工作にでるわ、歴史上存在しないことが明確なものを無理矢理捏造して吹聴するとかとにかく常識を逸しているユネスコ世界遺産委員会だったのである。
特に、名指しをしてしまえば韓国のことだが、存在しなかった『強制徴用』を頑なに主張し、前日には『東洋のアウシュビッツ』というまったくトンチンカン、的外れな表現まで飛び出してきた始末である。日本としてこのようなものまで無条件で譲歩して受け入れる必要があったのか、というのが正直なところだ。
過去の慰安婦問題然り、相手は存在しないものを捏造し、これを根拠として後に『謝罪と賠償』を要求し始める国である。一旦、『強制徴用』などを嘘でも認めてしまうと後世に災いとなるのは必至である。
どれだけ苦労して準備しようとも、名ばかりとなった感のある文化遺産よりも、10年先、50年先の日本国の国益を損なうことの方が遙かに大問題だと当事者達は何故判断できなかったのか、と思うのだ。韓国の主張した『東洋のアウシュビッツ』というポジションを世界に対して認めてまで登録する必要があったのかと問いたい。
良識ある者から見れば、韓国からの要求なんぞ一切クソ食らえ!であり、それで通らなければ文化遺産の名なんぞいらん、というのが国民としての立場というものであろう。下手に譲って将来に韓国から変な要求が降ってくるとすれば、今回の決定を手放しで喜んでる連中(当該地元だな…)と外務省(外相含む)、文化庁(長官)の人生と資産をもって対処せよ、国庫から捻出することは許すまじ、である。
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