もうあの事故から今日で20年経つんですね。早いものです。当時、自分はまだ17になったばかりで、この事故の数日後には松山-羽田間に乗っているので良く覚えている。このころはまだ、インターネットも普及していないし、リアルタイムに近いメディアはテレビとラジオしか無く、また携帯電話も無い時代故、情報は錯綜し、肝心の墜ちた場所すら特定されるまでに数時間を要していたりもしましたね。当然、横田からもかなり応援が飛んだ様ですし、空自もかなり夜通しだったのではないでしょうか。
1985年8月12日、日本航空123便は御巣鷹の尾根に墜落した。今年はそれからちょうど20年目にあたる。墜落による犠牲者は520人に上り、日本航空史上では最悪の事故だと言われている。
「これはだめかも分からんね」…この一つの言葉に現されたその意味はどれだけの思いと、絶望とが籠められていたのやら。当時の機内の会話と交信記録、飛行経路をミックスしたコンテンツ(有名な奴ね)があるのでメモ。pya!でも永らくランキングの上位にあったので、覚えてるシトも多いとは思うけど。
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