ということで前のポスト(大阪、寝屋川 - りんごのお味)からの続きなのだ。無事に京阪本線の出町柳駅(京都市内は地下を走っていた)に着いたところで地表に出るとそこは鴨川(加茂川と高野川の合流点)なのだ。
Nikon 1 V3 + 1 NIKKOR VR 10-30mm f/3.5-5.6 PD-ZOOM
こうやって足場が置かれて渡れるようになっていたのはちょっと驚き。関東では絶対にあり得ない光景なのだ。モンペ全盛の今日にあって、一歩踏み外すと大怪我に繋がりかねない環境というのは行政が完全に排除してしまっているのである。しかしここ京都では当たり前の様に自然と同居しているのである。
この渡し足場ですら大人であれば問題にならない間隔なのだが、小さな子供にとっては渡るのに決して楽な隙間では無いのである。雨が降ったりして濡れていれば大人ですら滑るのを恐れて躊躇するレベル。それが何の注意書きも警告も無しにごく当たり前の如く存在しているのだ。言い換えると「当たり前のものが当たり前に存在できる」という成熟した社会がそこに見えてくる。
「濡れてるときは滑ると危ないから遊ぶのは止めようね」という躾的な感覚が社会の中に存在することの証明であり、逆に関東ではその躾的な教育が全くと言ってよいほどされていない幼稚性が露わになったとも受け取れる一瞬であった。
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ふと上流を見ると大勢の子供達が川で遊んでいるのが目に飛び込んできた。恐らく幼稚園(もしくは保育園)で水遊びに来ているのだ。幼少の頃からこうやって水(河)に親しみ、そして生きていく上で将来必要となるであろう体験を積んで学んでいくのであろう。そしてこのような蓄積があっての冒頭の足場なのだと気付く。
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鴨川を後にし、向かったのは京都御苑。京都御所のあるところだ。新宿御苑はそのほとんどが緑地で公園化しているが、この京都の御苑はその大部分が御所関係の建物(と敷地)で締められている。そしてこの景観はやはり二条城とそっくりだ。それにしても広い。徒歩だといつまでたっても向こう側に着かない。
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恐らくは裏門、というか、庭園の端っこに設けられた門なのだろうけど、やはり立派なのだ。やたらと屋根が重そう、というか、時間の重みと言えなくもない気がする。
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あまりにも広大な京都御苑を出て鴨川のほとりにてしばしの休息を取る。よく晴れてはいるもののあまり風はなく柳も靡くことなくうなだれたまま。日陰に腰掛け時間が過ぎゆくのを眺める。
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脚を休めた後、鴨川を渡り西へと進む。熊野を過ぎたあたりで琵琶湖から引いた水路に出会う。琵琶湖疎水というのかな。歴史の古い京都にあってはあまりにも近代(19世紀後半-20世紀序盤)の遺物ではあるが、その存在が古都の風情を壊していないのは流石だと感心させられる。
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さらに進み平安神宮へ。門のところで人気が掃けるるのを待っていると偶然にも1人の巫女さんが前を横切って行ったので思わずシャッターを切る。
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南禅寺へ向かう途中、瓦葺きの低い塀に出会う。大人の背丈で瓦を眺められるこの新しさ。決して人を遠ざけるでなく、それでいて明確に向こうとこちらを別けるという微妙な塩梅である。
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のんびりと歩き続け南禅寺到着である。どうしても今回、京都は南禅寺に来てみたかったのだ。観光客はパラパラといるものの、平日(金曜)の昼前ということもありそれほど人が多い訳ではなかったのが助かる。石川五右衛門の「絶景かな絶景かな…」の三門。20年ほど前に1度、登っているので今回は登らず。
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臨済宗南禅寺派大本山、南禅寺の法堂である。実は今回、京都を目指したのはこれを見に来たかったから。先に、過去に1度来ていると書いたのだが、祖父の1周忌をこの中でやったのだ。たまたま、祖父の家が檀家となっている乗福寺の住職がここ南禅寺の管長(トップは南禅寺派の住職が回り持ちで務めている)を務めていたのである。そんな訳で寺の中は好き勝手使えた(語弊がありそうな表現だが…)ということもあり、管長が「折角だからここでやろう」の一言で決まってしまったという。
何度も来ている京都にあって、色々な寺院を訪れてはいるが記憶の中で一番に残っているのはやはりここ南禅寺なのだ。やはり根っこの部分というのは忘れることの出来ないナニかがあるのではないかと思う。
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南禅寺境内を通る琵琶湖疎水の水道橋。赤煉瓦造りの古めかしい佇まいが妙に雰囲気を醸し出している。古いものは100年経てば皆『古い』の一括りで同居しても違和感が無くなってしまうとでも言おうか、浮かなくなってしまうのだと思い知らされる。
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水道橋の足下を見通してみるの巻。このトンネルの向こうに何があるのだろう…。(まぁ琵琶湖なんだけどね…)
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和建築の美しさが目を引く。南禅院。
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もう誰もが知っているあの京都駅。伊勢丹側の大階段をシルエットで。
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果たしてこの空間は何のための空間なのだろうか…。京都駅がこの形にリニューアルした直後にも来て思ったのだが未だにその答えは見つからない。若しかするとこの広さというものが西国の人達の懐(心)の広さを顕わすものなのかもしれないと思うのだ。東国では必ず大資本にモノを言わせた商業施設(店舗)型の高層階になってしまって小売店舗を食いつぶしてしまう。最近の大阪駅もそうだがこういった構造材剥き出しで広く空間を演出するのがトレンドなんでしょうかねぇ。
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まるでおとぎの国の世界の様。あらゆる光や形が何の規則性もなく同居している不思議な世界。それでいて全く破綻していない特異な空間。それが京都駅なのかもしれない。
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時は夏、ちょうど祇園祭の真っ最中なのだ。大階段に設けられたLED球で様々な絵がイルミネーションで表現されてゆく。
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向かって右側から左へ大鉾の絵が走っていく様を流し撮り風に低速シャッターで追ってみる。敢えてISO感度を最低(基準)の160のままにして動きを付けてみた。
今回の京都は直前まで行こうかどうしようか迷ったこともあり、あまり計画を立てずに行き当たりばったりで動いてしまったのがちょっと心残りな結果に。また機会があればもう少し計画的を練ってレンタサイクル借りるとか動きやすいナニかを考えないと…と思うのでありました。いくら平地とは言え、やはり距離的な移動を全て徒歩に頼るのは些か無謀というか、無理です。あと、週末に掛かるときは帰りの便も予約は必須。今回はたまたま夜行便のキャンセルが出て空きが1つあったので事なきを得ましたが…後から思うとかなりキケンな流れだったかもしれません。
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