文字通りメーデーなのだ。今でこそほとんどその響きを見ることは無くなってしまったが昭和の時代においては5月1日は『労働者が統一して権利要求と国際連帯の活動を行う日』として日比谷公園などでデモ行進が大がかりに行われていたのである。もちろん、小学校の教科書にも写真付きで載っていたぐらいであるからある種、お祭りに近い部類の感覚で参加するイベントとして捉えていた面もあるのだが、後に自身が社会に出てからはこれが大きな間違いであったことに気付く。
当時は国鉄(現在のJR)を筆頭に鉄道各社や自動車メーカー、電気メーカーなど大手各社(の労組)はこぞってストライキをチラつかせ、時には数日にわたるストライキを決行して経営者と労使交渉に臨んでいたわけなのだ。しかしそれも年号が昭和から平成に変わる頃には全く影を潜めてしまい、ごく希に航空会社が忘れたようにストライキを細々とやっていた様に思うのだが最近はそんなニュースも流れてこない。唯一、昨年には相鉄(相模鉄道)がストを決行し、半日ちょっと電車とバスがほぼ止まった様だがJR及び小田急沿線組故、個人的には何の影響も受けなかったのでありました。
まぁそんなワケでメーデー。
今朝、独り2階に置いていかれて寂しくなり自力で1階を目指すも数段で挫折し助けを求めるの図也。文字通りこちらも『メーデー(遭難信号)』である。以前は自力で上り下りとも自由に行き来していたのだが、1年ほど前から自力で降りられなくなってしまった。きっと家を留守にしていて家人が帰ってきた時にもの凄い勢いで降りようとしてかなり上の方から滑り落ちてしまったのではないかと想像する(下の方の数段はよく滑り落ちていたのは目撃している)のだが、上の数段(直角に曲がり少し1段が広くなっている)は何とか今でも降りてくる。
しかし、そこから身動きが取れなくなりご覧の通りの立ち往生なのだ。前の腕は半分、段からはみ出してしまっていて向きを変えようにも動きが取れない。下がることも向きを変えることも出来ないこの状態でピーピー鳴いて人に助けを求めるのである。まさしく『メーデー(遭難信号)』。
とまぁこんな片道キップしか持たない我が子ではあるが、昇るのは好きらしくもの凄い勢いで駆け上がっていく。なので毎度々々13Kgもあるこの子を抱いて階段を降りることになるのだ。そろそろ膝が辛くなってきた今日この頃なのだよ、分かっておくれ…。
そうそう、この日は祖父の命日でもある。なので決まってこの日は祖父が大好物だった付けトロ(蕎麦)を食べる。「寒いのに冷たい蕎麦かよ…」と思ったことが無いのでこの日は大抵、晴れて暖かい、というか暑いことが多いのであろう。今日も朝から見事な五月晴れである。
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