ちょっともったいぶった長いタイトルになっちゃいましたけど、これが世の中の流れを全て言い表しているということでしょうか。このポストを書こうと思った切っ掛けは「出席者が居眠りしていても標準化される規格--標準化プロセスの現場」という記事なんですけど、似たような事象は1年弱ほど前に端を発した某政権の空回りからも見て取れますよね。
このハイシエラフォーマットには裏話があり、Microsoft、DEC、Apple、3M、ソニー、日立等が集まって作ったことになっていますが、日立と組んだTMSというベンチャーが全てお膳立てして、議長として仕切り、殆どの方は会議では寝ていたという話が残されています。真偽の程は、寝ていた日立の担当者には判らなかった筈だというオチと一緒に。実は時を移し、後年の某DVD規格の策定においても同じことが起きていたのはあまり知られていないかもしれません。
この某DVD規格の際も、某弱小ベンチャー(ベンチャーと呼んで良いのかはさておき…)が何故か大企業の中に混じって仕事をしておりました。何故知っているかと言うと、この弱小会社さんの社長さんと某所で懇意にさせていただいており、当時の話をざっくばらんにお聞きしたからでありまして。
で、何故このように小さい会社、技術的には第三者が入ることになるかというと、件の記事の2ページ目に書かれている、
では何故、前者の様な意志決定を行うハズの重要な会議がシャンシャン会議になってしまうのかというと、これは唯一、エビデンスとしての記録を残すことに目的があるからに他なりません。全員が、または過半数が賛成しましたよ、という記録こそが意志決定の仕組みなんですね。よってこの会議ではこれから決定を下そうとする話の内容については何ら議論されることはほとんどありません。言い換えると、承認される見込みが無ければ会議が開かれないということになります。
必要な議論は事前に技術者レベルでの会議(ディスカッションとまでは言わないでも後者の会議のニュアンス)でほとんど詰められており、各社間での調整も事前に終わっているということになります。件の記事では「担当者」と一括りにされていますが、この「担当者」というのが実は沢山いるわけです。
技術や各社間で詳細を詰める担当者、判子を押す担当者、お財布を握ってる担当者…。役割として希に重複することもありますが、大概は別の人間が受け持ちます。詳細を詰める現場は後者の議論を尽くす会議、そして件の記事の意志決定会議では判子を押す担当者が前者の会議に出てくるわけですね。
最初の方に少し政権などと話が振れてますが、この流れを国の運営に当てはめてみれば理解しやすいと思います。現場の具体的な詳細に落すのは官僚、判子を押すのが政治家。この現場の話に政治家が専門家である官僚を押しのけ割り込み、話をかき回しただけで何も進まなかった、ということですよね。まぁ、物事の進め方を知らなかった人達がいきなり判子を押す役割持っちゃったケースなので今となっては笑い話でしょうけど。
ニュースなどでよく出てくる○○委員会とか、△△分科会などという大層な名前の会議は漏れなく前者の意志決定会議です。現場のディスカッションはほとんど表に出てくることはありません。この手の会議が何故か延期された時というのは、事前の調整に手間取っているか、失敗している時です。こうやって見ると裏側の事前準備というものが如何に重要か、ということが分かるのですけど、その部分は決して表に出てこないんですね。
それ故、弱小ベンチャーやコンサルタントといった第三者が仕切りに入る必然性が生まれます。どの企業にも属さず、ひたすら企業間の調整を取り纏めていく人達です。そこに求められるモノは豊富な人生経験と、広い視野、人受けの良さでしょうか。企業と企業を繋ぐ、人と人を結ぶ接着剤。世の中にはこんな仕事もあるんだよ、という意味でこのポストを書いてみました。
で、何故このように小さい会社、技術的には第三者が入ることになるかというと、件の記事の2ページ目に書かれている、
会議の場においてメンバーが意見を戦わせたかどうかはさておき、ベンチャー企業による突然の発案が承認されるわけはないはずで、会議が始まるまでにメンバー間での意見交換を終えていた、と考えるほうが妥当だろう。これに尽きる、ということなんですね。ある程度、社会を経験すると見えてくるものですが、ものごとの意志決定を行うべき会議と、アイデアを出し合いその先を模索する会議があるわけで、件の事例は当にこの前者の会議を指している訳です。所謂ペーペーが参加する会議は後者で、どちらかというとディスカッションの類。
そしてもう1つが、標準化プロセスそのものは企業にとって魅力がないこと。のちにわずかな修正を加え「ISO-9660」として国際標準規格化されていることからしても、ハイシエラフォーマットの重要性は認識されていたと考えられるが、営業上の数字に直結する案件ではなく、場にはそのような雰囲気もない。決まるべくして決まるところにランディングし、その結論を尊重しよう、という様子をうかがうことができる。
では何故、前者の様な意志決定を行うハズの重要な会議がシャンシャン会議になってしまうのかというと、これは唯一、エビデンスとしての記録を残すことに目的があるからに他なりません。全員が、または過半数が賛成しましたよ、という記録こそが意志決定の仕組みなんですね。よってこの会議ではこれから決定を下そうとする話の内容については何ら議論されることはほとんどありません。言い換えると、承認される見込みが無ければ会議が開かれないということになります。
必要な議論は事前に技術者レベルでの会議(ディスカッションとまでは言わないでも後者の会議のニュアンス)でほとんど詰められており、各社間での調整も事前に終わっているということになります。件の記事では「担当者」と一括りにされていますが、この「担当者」というのが実は沢山いるわけです。
技術や各社間で詳細を詰める担当者、判子を押す担当者、お財布を握ってる担当者…。役割として希に重複することもありますが、大概は別の人間が受け持ちます。詳細を詰める現場は後者の議論を尽くす会議、そして件の記事の意志決定会議では判子を押す担当者が前者の会議に出てくるわけですね。
最初の方に少し政権などと話が振れてますが、この流れを国の運営に当てはめてみれば理解しやすいと思います。現場の具体的な詳細に落すのは官僚、判子を押すのが政治家。この現場の話に政治家が専門家である官僚を押しのけ割り込み、話をかき回しただけで何も進まなかった、ということですよね。まぁ、物事の進め方を知らなかった人達がいきなり判子を押す役割持っちゃったケースなので今となっては笑い話でしょうけど。
ニュースなどでよく出てくる○○委員会とか、△△分科会などという大層な名前の会議は漏れなく前者の意志決定会議です。現場のディスカッションはほとんど表に出てくることはありません。この手の会議が何故か延期された時というのは、事前の調整に手間取っているか、失敗している時です。こうやって見ると裏側の事前準備というものが如何に重要か、ということが分かるのですけど、その部分は決して表に出てこないんですね。
それ故、弱小ベンチャーやコンサルタントといった第三者が仕切りに入る必然性が生まれます。どの企業にも属さず、ひたすら企業間の調整を取り纏めていく人達です。そこに求められるモノは豊富な人生経験と、広い視野、人受けの良さでしょうか。企業と企業を繋ぐ、人と人を結ぶ接着剤。世の中にはこんな仕事もあるんだよ、という意味でこのポストを書いてみました。
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