そろそろ秋の足音が聞こえ始めた今日この頃。たまにはゆっくり本を読んだりDVDを観たり、虫の音をBGMにして時間を贅沢に使ってみようというのが本日のテーマ。
思い立った原因はひろゆき氏のこの「”きぼう”の価値と、馬鹿を諌められない組織。」というポスト。この中で述べられている趣旨とは全く関係無いですが、嘗て自分が育ってきた過程において普段から宇宙ものに関する情報が目に付いたこと(好きで集めていたが故に多かっただけなのだと思う)があり、またもの凄く好きだったが故のテーマ。
思えば、小学校の時の卒論のテーマがボイジャー計画だったのが始りであり、中学に入学したその年コロンビアが初めて宇宙へ出、人類の宇宙開発史上最も飛躍したであろう華やかし頃に思春期を過ごしたというのが大きく影響しているのかもしれません。
思い立った原因はひろゆき氏のこの「”きぼう”の価値と、馬鹿を諌められない組織。」というポスト。この中で述べられている趣旨とは全く関係無いですが、嘗て自分が育ってきた過程において普段から宇宙ものに関する情報が目に付いたこと(好きで集めていたが故に多かっただけなのだと思う)があり、またもの凄く好きだったが故のテーマ。
思えば、小学校の時の卒論のテーマがボイジャー計画だったのが始りであり、中学に入学したその年コロンビアが初めて宇宙へ出、人類の宇宙開発史上最も飛躍したであろう華やかし頃に思春期を過ごしたというのが大きく影響しているのかもしれません。
ボイジャー1号が土星に近づき、それまで知られていなかったことが次々と発見され連日の様に新聞で報じられたのをワクワクしながら読んでいた時代。知らなかったことを次々と目の当たりにする高揚感。それが切っ掛けで小学校の卒論テーマに即決、そして書き進めるうちにボイジャー2号が次いで土星に接近し、更に新しい情報が明らかになっていくという明るい未来が拡がる時代でもあったわけです。
中学に入ったその年Newtonが創刊されます。初めてシャトルが宇宙に出ることとなったコロンビアが特集で組まれ、写真や記事で埋め尽くされていたのは強烈なインパクでもありました。多段ロケットで大きなリスクと引き替えに宇宙へ上がり、落ちてくる様に帰ってくる時代からオービタで往復する時代への幕開けを共有します。そして時を同じくして未来の宇宙を想わせるものがもう一つ。そう、機動戦士ガンダムの放送が始まります。'60年代はスペシャルな人達が苦難の末に辿り着き、'80年代に入ってからはその裾野が広がりスペシャルでない(当時の感覚であり、スペシャルな人でる必要はあった)人達にとって宇宙というものが一気に身近になった時代でもあった訳です。
そして時代は21世紀に入り、ISS(国際宇宙ステーション)に人類が住む時代となりました。良く晴れた日の夜であれば、金星よりも2等級ほど暗い光が空を飛んでいくのを肉眼でも確認することができます。過去2度ほど不幸な事故に見舞われたシャトルも数多く宇宙との間を往復し、ついに来年2月26日に引退することとなりました。しかし次の世代のシャトルは現れていません。ただ、この間にも数名の日本人が宇宙を飛び、生活したことは日本にとって宇宙が一気に近くなったのも事実でしょう。国産大型ロケットの実用化、そして安定運用と日本にとって科学技術が一気に開花した時代でもあります。
少し話が前後しますがSFの世界では2001年宇宙の旅(2001: A Space Odyssey)が'60年代後半、2010年宇宙の旅(2010: Odyssey Two)が'80年代前半ですから、実際の宇宙開発史から見て2世代ほどのズレがあります。でも確実にこのSFの世界に近づきつつあり、現実になり始めているのではないかと思えて仕方ありません。2001年はとっくに過ぎ去り、人類はやっと宇宙で生活が送れるようになったばかり。そして2010年はそう、今年の現在です。やっと月より遠い星を目指そうという目標を立てたばかりですよね。土星や木星、またはその衛星に人類が降り立つのはそう遠いことではないのかもしれませんが、まだ暫くは時間が必要な様です。それまでは過去の試行錯誤と試練の記録、そしてSFの世界でまだ見ぬ世界を夢見て想いを侍らしてみるのも良いのかもしれません。
中学に入ったその年Newtonが創刊されます。初めてシャトルが宇宙に出ることとなったコロンビアが特集で組まれ、写真や記事で埋め尽くされていたのは強烈なインパクでもありました。多段ロケットで大きなリスクと引き替えに宇宙へ上がり、落ちてくる様に帰ってくる時代からオービタで往復する時代への幕開けを共有します。そして時を同じくして未来の宇宙を想わせるものがもう一つ。そう、機動戦士ガンダムの放送が始まります。'60年代はスペシャルな人達が苦難の末に辿り着き、'80年代に入ってからはその裾野が広がりスペシャルでない(当時の感覚であり、スペシャルな人でる必要はあった)人達にとって宇宙というものが一気に身近になった時代でもあった訳です。
そして時代は21世紀に入り、ISS(国際宇宙ステーション)に人類が住む時代となりました。良く晴れた日の夜であれば、金星よりも2等級ほど暗い光が空を飛んでいくのを肉眼でも確認することができます。過去2度ほど不幸な事故に見舞われたシャトルも数多く宇宙との間を往復し、ついに来年2月26日に引退することとなりました。しかし次の世代のシャトルは現れていません。ただ、この間にも数名の日本人が宇宙を飛び、生活したことは日本にとって宇宙が一気に近くなったのも事実でしょう。国産大型ロケットの実用化、そして安定運用と日本にとって科学技術が一気に開花した時代でもあります。
少し話が前後しますがSFの世界では2001年宇宙の旅(2001: A Space Odyssey)が'60年代後半、2010年宇宙の旅(2010: Odyssey Two)が'80年代前半ですから、実際の宇宙開発史から見て2世代ほどのズレがあります。でも確実にこのSFの世界に近づきつつあり、現実になり始めているのではないかと思えて仕方ありません。2001年はとっくに過ぎ去り、人類はやっと宇宙で生活が送れるようになったばかり。そして2010年はそう、今年の現在です。やっと月より遠い星を目指そうという目標を立てたばかりですよね。土星や木星、またはその衛星に人類が降り立つのはそう遠いことではないのかもしれませんが、まだ暫くは時間が必要な様です。それまでは過去の試行錯誤と試練の記録、そしてSFの世界でまだ見ぬ世界を夢見て想いを侍らしてみるのも良いのかもしれません。
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