今朝、何気にニュースを眺めているととてつもなく大きなニュースが目に入った。
▼ 松江城:懸賞金かけ発見…「祈祷札」決め手 天守国宝に - 毎日新聞
大きなニュースと書いたが世の中では扱いが小さいらしい。それでもちゃんとこうやって文化財や歴史のあるものをキチンと守り、そして大切にしてきた人々の希望と成果がちゃんと国に認めてもらえるってのは素晴らしいことなんだと思う。
文化審議会は15日、松江城天守(松江市)を国宝に指定するよう、下村博文文部科学相に答申した。松江城の天守は1611(慶長16)年に完成。近世城郭の最盛期を代表する建築として評価された。
1950年、文化財保護法の施行により重要文化財に指定され、翌51年に松江市が国に国宝指定の陳情を開始。その後、市民による署名活動や勉強会を続けていた。 松江城は松江開府の祖・堀尾吉晴が築城し、江戸時代には藩主の堀尾、京極、松平各家の居城だった。
国宝指定の答申の決め手は、築城年を記した「祈祷(きとう)札」の発見だった。1937年以降所在不明となっていたが、松江市は懸賞金500万円をかけて捜し、2012年に市職員らが天守そばの松江神社で見つけた。2階分の長さの柱を多用して荷重を分散させる当時の最新技法に加え、柱を板で囲む「包板(つつみいた)」なども高い評価を受けた。札が見つかった松江神社は懸賞金の受け取りを辞退した。
09年に設立された「松江城を国宝にする市民の会」は、国宝化を求める約12万8000人分の署名を文化庁に提出するなどの活動を続けてきた。会長の藤岡大拙(だいせつ)・島根県立大短期大学部名誉教授(82)は「もう少し長い道のりだと思っていた。人生の中で最も幸福な気持ち」と喜んでいた。
松江城は35年、旧国宝保存法で現在の重要文化財に準じる国宝に指定されたが、50年の文化財保護法施行で重要文化財となっていた。
先般松江城を訪れた時、天守周辺ではやたらと『松江城を国宝に』というアピールが出ていたのは気付いていたのだが、実はここまで活動が進んでいて『祈祷札』が既に見つかった後だから国宝指定はほぼ文化審議会の答申待ちだったのか、『もう国宝になるんだからね』って空気が満ちあふれてた気がします。
前回サラッと「柱なんて一本モノじゃなくて継ぎだし…」なんて書いちゃったのだが、『2階分の長さの柱を多用して荷重を分散させる当時の最新技法に加え、柱を板で囲む「包板(つつみいた)」』の部分が実は評価が高いポイントだったというのはこのニュースで始めて知ったのでありました。こんなことならもっとちゃんとよく見てくれば良かったなぁ、と。
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